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正法眼蔵を学ぶ

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発菩提心 Ⅳー 3

音声はこちら ↓

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エーまあそれはさておいて、「『彼一念』の『深広無涯際』なるがごとく、」たった僅かな思いでも、

それ位極めつくす事が出来ない内容を持ってる。そりゃ今って言う時間帯だって見て御覧なさい。

今の内容を皆さん方、ペンを一本上げるから全部書き尽してごらんって言って、今の事ですよ、今のこの内容を、ペンで全部

書き上げてごらんて。一生、生きている間中書いたって書き終わらないよ。知ってるでしょう。その位豊かな内容なんですよ、

たった今の様子。一本の草だって、一本の木だって、石ころ一つだって、瓦一枚だって、そうでしょう。


今日来る時、87になるおばあちゃん、最近雨が降ったもんだから、やっと、って言って、草を刈ってえび芋を植えた。里芋。

今植えたから、もう少したったら出来ますから又食べてって、私の生き甲斐なんですって言って、里芋作るの、そう言ってました。

87ですよ。縁のある人に皆上げてる。良いおばあちゃんだって言われる為にやってる訳じゃない。生き甲斐なんだよね。


「一草一石もし七尺八尺なれば、彼一念も七尺八尺なり、発心もまた七尺八尺なり。」実物と実物の表現が

ですね、違うって言う事は、実物を表現する事にならないんだよね。そう言う事でしょう。

実物を表現する時に、実物と違う事だったら実物を表現したことにならない。必ずその実物を表現する時に、実物と違わない事を

もって表現する。そう言う事でしょうかね。


一般的には言行一致とかって言う言葉も使われる。外に向かってどうあるべきかって言う精神を喋った。唱える人が自分の日常の

生き方が、その、人に向かって説いている事と内容がずれない生き方をするって言う様な事を貴しとするじゃないですか。

口では良い事を言っても、実際の生活は言ってる事と違うって言う様な事だったら、人は信用をしないし、ねぇ、喜ばないじゃない

ですか。評価が低くなるでしょう。


見てて御覧なさい。色んなの見てると、社会情勢の中でそう言うの見てると。皆よく知ってるんですよ。変だなって、どっかずれてる

んじゃないかって、見てるから評価が良くない。それが上に立つ人だったら尚更影響が大きい。

お釈迦様がもし言ってる事とやってる事が違う様な人だったら、今日まで誰も拝まないよね。


これ正法眼蔵をお書きになった道元禅師だって、もし自分が残されてる内容と普段生活してる内容が全く違う様な生き方をした人

だったら、誰もついて行かないよね。そりゃ誰だってそうじゃないですか。今挙げた里芋だってそうじゃん。見かけは良いけど、

食べたら、何だこんな味かって言う様な位見掛け倒しだとですね、捨てられちゃうよ。それで一生懸命良い物作るじゃない。


「しかあればすなはち、入於深山、思惟仏道は容易なるべし、」そりゃそうでしょう。山に入って沈思黙行して

仏道がどういう事かってやる方は、何もしなくても行きさえすれば良いから、比較的楽なんでしょう。

だけども、像を造ったり塔を建てたりする事は甚難なりとあります。材料を集めてきたり、技量を求めたり、求めなきゃならないし、

色んな事がないとお寺を建てるとか、塔を造る、仏像を刻むとか、こっちの方が難しいって言ってます。


円通寺に来てこうやって私がなんかやるのは、凄い簡単な事ですよ。この身体さえ此処に来てやればいいから、簡単ですよ。

で、お寺に帰って、庭をきれいにしようと思う方が大変ですよ。一日掃除してもしれてる。エーまあそう言う事で良いですかね。


「ともに精進無怠より」怠り無く「成熟すといへども、心を拈来すると、心に拈来せらるゝと、はるかにことなるべし。」

こっちからものに向かうのと、ものの方から自分自身が変えられていくって言う、そう言うもののあり方があるじゃないですか。

人と出合うと、自分の方で、その人に出合った時に、自分の方から変えて行くんじゃなくて、その人と出合うとおのずからその人に

よって自分が変っていく。


雨が降ると、こちらからどうもしないのに雨が降った様に全部変わって行く。修行としては、道元禅師はそっちの方を皆さんに

勧めてますよ、修行するのに自分の方から、雨が降ったら雨が降った様にして行くって言う事をやるよりもですね、

雨が降ると自分で何もしないのに雨が降った様子に変えられていく。そう言う在り方をものすごく皆さんに大事に勧めてる。

修行の在り方として。


これ楽じゃないですか。もうちょっと違った言葉で道元禅師がおっしゃられてる。「自己を運んで万法を修証するこれを迷いと言う。」

自分を立てといて、そしてものに向かって自分の思い通りにして行くって言う様なやり方をするのは間違っているとおっしゃってる。

迷い。修行として。そんな事をやって修行が完成されるって言う事はないって言ってるのでしょう。

「万法すすみて自己を修証する、これを悟りと言う。」本当に自分の内容が気づきたかったら、その様に過ごしたら良いんでしょう。


毎日そうでしょう。色んなものにこうやって出合った時に、自分の方で何にもしなくてもその出合った事によって、

必ずこれが変わって行くのでしょう。何でこれを守って、変わらない様に守ってる、そう言う必要があるんですか。

それだから色んな事に出合って上手く行かないのでしょう。要らない事でしょう、そんな、これを守る事は。

私の聞き方、そんなものがあるから、パン!(机を打つ)こうやってやった時に、気に入らないと、なるんでしょう。

ねぇ。これやってくれるかって、何でお前の言う事やらなきゃいけないんだって、角が立つのでしょう。


身体は耳に入ってきた通りに反応する様に出来てるじゃないですか。拒絶をせずに、素直に。

そう言う事が在りながら自分の考え方が拒絶させてる。で、気分を悪く自分でさせるんですよ、生活してて。

問題はそう言う事だけなんでしょう、生活してて。どうあったら良いかって言う時に。だってこのものはそう言う生活してるだけだから

ねぇ。一日二十四時間このものの活動してるだけですからねぇ。このものの活動してる中で、自分を立ててものに向かうと、

そう言う厄介な事が起こるけど、これ、自分の中に守るもの一切もたずに生活してると、見事にものと一緒になって上手く活動出来

る様になってる。「黒漆の昆崙、夜裏に走る」って言う様な事を言ってますね。暗い中で真っ黒い漆の玉がゴロゴロ、ゴロゴロ音も無

く姿もみぜずに展開するって言うんですね。


「かくのごとくの発菩提心、つもりて仏祖現成するなり。」つもりてって、本当にそう言う在り方だけが四六時中

行われてる事によって、縁に触れて自分の真相に触れるのでしょうね。「今の一当は古の百不当の力なり」って

どっかにそんな表現が道元禅師が書いておられる。カチーンて今真実にふれるって言う事がある。。今までに百回やったけど、

一度も当たらなかった力による。それ、つもりてって言うのでしょう。

松井秀樹が素振りを毎日、小さい頃、手にタコが出来る位って言う事がある。ああ言う選手が育ったりするのでしょう。

本当に積もりてって言う事、今、今こうやって居る事がずっとあるだけって言う事が、つもりてって言う事でしょう。


生涯って言ったって何やってるかって、今、今此処でこうしてる事以外に無いじゃないですか、生涯って。何時だってそうじゃない

ですか。自分自身の居る所で、この身体の在る所で、そこで過ごしてる今の様子があるだけじゃないですか。

それが如何いう事をしてるかは別ですよ、その時によって。単純に見たら、本当にこの身体の在る所で、その身体が其処で、

本当にその事をやってる以外にないじゃないですか。そうやって自分に親しく居たら良い。

だけど何処からか知らないけど、他人の事って眺めてますね。余所の事。


眺めてるのはだれですか。エー、自分がやってるんですよ。その眺めてる自分がやってる時に、誤解を自分でしてるんですよ。

僕の事じゃないって言って見てるんですよ。私のやってる事じゃないと思って見てる。向こうの事だって言う風に見てるんですよ。

眼はそんな事しませんよ。本当に自分の眼の様子だけですよ、こうやって。そう言う事をよーく生活の中で触れてほしい。

「かくのごとくの発菩提心、」そう言う自分自身に対する在り方があるじゃないですか。

そう言う事を抜きにしてですよ、修行が完成される事はない。


修行が完成されるって言う事は、もうひとつ言うとどういう事かったら、最初にちゃんとしてたって言う事に気づくって言う事じゃん

ね。それを知らないと、どうにかしないと本物にならないと思ってる訳じゃない。で、どうにかする為に色んな事を毎日やってる

から、一つも今の真実の様子に触れないじゃないですか。今の真実の様子ほっといて、何かしないと本物にならないと思う考え方

が有るから、色んな事してる。今やってる事と別の事をする。これが道から外れる由縁じゃないですか。


普通に言えば、こうやって、今お茶飲んでるにも拘らず、このお茶飲んでる時、味がしてる事は如何でも良いんだよね。

もっと美味しいお茶は無いかなと、この前飲んだあれは良かったとかって、そんな風にしているから、口に入れて味がしているにも

拘らず、味がしてる事なんか本当に問題にしない生活をしてるって言う事は、何杯飲ませたって、この人は生きてる間中に

お茶の味なんか味わう事がないと言う人でしょうが。


それに近い生活をしてる人が、もしこの中に居たら、改めるべきじゃないですか。修行はそう言う事じゃない。何でそんな風に

思っちゃったんだろうね、修行するって。それが通り相場ですよ。殆どの人に聞いて見ればわかる。大概修行ってそう言う事の様に

言ってますよ。よそ事をする事。今歩く時に、昨日の歩く事なんかほんとに用がないんだよ。今歩いてる事をちゃんとしさえすれば、

足りるんだ。


もうちょっと時間があるけど。正法眼蔵・発菩提心 第六十三 爾時寛元二年甲辰二月十四日在越州吉田県吉峰精舎示衆

 二月十四日ってお釈迦様がみまかりをする前日。涅槃に、亡くなられる前日ですね、説かれた。吉峰寺と言う所で。

永平寺の近くですね、比較的。大野、大野市にあります。後に弘安二年巳卯三月十日在永平寺書写之 懐弉 お弟子の懐弉禅師

がこれを清書された、と言う事ですかね。書き写されたと言っていいのかね。


こう言うものが有ると又勉強になるんだろうけど、正法眼蔵を勉強してるグループの人にこの前あった時に、面白い勉強の仕方

してるなと思ったのはですね、エー、どこどこの巻きにこう言う事がある、どこどこの巻きにこう言う事があるって言って。

それ如何言うことかねと言って、あっちではこう言ってる、こっちではこう言ってるんだけどって言うんですね。


何でこんな勉強になるんか分かりますか。正法眼蔵ってそんな風にして説かれた事は無いんですよ。お分かりの通りに。

聞いてる人はこの「発菩提心」聞いてる時、他の97巻か98巻かありますけど、知りませんが、他の事を聞いてる訳じゃないですね。

勉強する時に、いつもその一巻だけなんです。だけど後世になってこうやって95巻かなんか98巻99巻なんか出て来るとですね、

並べといて勉強するんですね。勉強の仕方が間違ってるなって。


あの本にはこう書いてある、あの巻にはこう書いてある、こんな事聞いた時に、両方が出てきて聞いた人なんか居ないんだよ。

エー、用がないんだ、そんな勉強。そんな風に道元禅師喋らないんだ。何時も今喋ってる事を、その時に聞いてる人にあるだけ。

これ学者の陥る典型的な落とし穴でしょうね。ものの事実ってそんな風に絶対なってませんよ。厄介になってるみたい。

勉強の仕方が違うんだよ。違うんですよ。そう言われれば、そうかも知れませんねって言ってました。

そう言われなくたってそうですけど。


何かあの忘れないうちに聞いときたい事があったら聞いて下さい。茶話会がありますけど。

質問 この最後まで読んで、示衆ってあるのは、これ法話の内容を記録したんですか。これは道元禅師が筆に書いたんですか。

答え そうでしょうね。これに書いたんでしょう。書かないと残らないもんねぇ。示衆って示しただけじゃ。


質問 これは誰かに話したことではないんですか。

答え 道元禅師がお話になった事を、文章として残したって言う事でしょう。

質問 道元禅師が書いたんですか。それとも話した事ですか。

答え 勿論話したんだ。示衆だから。皆さんに示した事を話しただけじゃなくて、文字に起こして残してある。そう言うものが台本が

あるから、それを懐弉禅師が又それをお借りして書き写したのが、弘安二年と言う事です。

もう一つは、12巻本と言うのが最近問題にされてる。それは道元禅師が亡くなる近くになった時に、ご自分の手で、正法眼蔵の12

巻だけをもう一回きちっと清書されたものがある。それが今一番大事にされてる。


質問 それが一番大事なものだと言うことですか。

答え 一番大事なものだろうと思うけども、命が永らえたら、恐らく全部を手を入れ直したんだろうと思うけども、時期が来たから遣

り残して逝っちゃったんでしょう。だから12巻しか残ってないと言う事でもあるでしょう。まあどれでも一巻で済むことですからね。


あのこれも持論なんだけども、話をするって言う場合はですよ、そこに来て下さった人に話をして、もう一回聞きに来て貰わないと、

大事な事が伝えられなかったって言う様な話はですね、不完全なんですよ。必ずそこに来て、その僅かな時間であろうが長い時間

であろうが、その中で全部必要な事が説かれていなかったら、話ってのは役に立たないじゃないですか。今すぐ此処で実践どうや

ったら出来るかと言う事が説かれると言う事が一番大事な事なんでしょう。今日は序論だから言う様な事じゃないですね、仏道って

言うのは。


質問 さっき学者云々と言われたのは、95並べてやるんじゃなくて、33、25、とかそれぞれで一応 完結してる。

料理作るんだってそう。昨日料理作ったら、昨日は昨日で上手くいこうがまずかろうが完結ですからね。止めようがないのでしょう

が。昨日の料理は昨日で完璧に終わりですから。で、今日は昨日の料理をやり直すって言う様な事じゃないですね。

人間の考え方ってそう言うものとは違う。
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  1. 2017/09/17(日) 13:49:08|
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