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正法眼蔵を学ぶ

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祖師西来意 Ⅲ

音声はこちら ↓

祖師西来意 03_01
祖師西来意 03_02

えー再開しますよ。

「『人下忽有人問』、すなはちこれなり。」今話した様に、木と人が出合うと、人と人が出合う、

或いは『如何是祖師西来意』って言う、そう言う言葉に出合うと、何故かその事と、必ず一緒になるんですねぇ。

不思議ですねぇ。何でそうなるのか知らない。円通寺の境内を歩くと、必ず知らない内に円通寺の境内を歩いている様に、

そう言う生活者になる。自分の家に居る様な人には絶対ならない。それは現実そうじゃないですか。

それだのに、人間の頭は違いますよ。この事実をないがしろにして、家に居る様な事平気で考えるんですよ。そうじゃないですか。

そう言う事してないですか、してなきゃ結構だけど。


『忽』って言う字がすごく響くじゃないですか。忽ちって如何いう状況ですか。

勿れと言う字に、心と言う字を重ねて、忽と言う字が出来て来る。面白いね。

忽ちって言う時には、心らしいものが何にも動かんのよね。何がどうしたか分からん位面白い動きをする。


パン!(両手で打つ)ってやると、聞いたとか聞こえたとか、一切そう言う事起きない内に、

パン!そう言う風にたちまち、ねぇ、そうなってる。

忽ち、「忽ちこれなり」そう言う処に私達は学ぶ必要があるんじゃないですか。

こんな生活をお互いしてるんじゃないですか。

どうしたら上手く行くとかどうしたら、どうなるんだろうとか一生懸命やってるけど、そんな事ひとつも使わない内に、こんなに見事に

生活が出来てる。誰もやってますよ、そう言う事を。


こうやって、こう一頁めくると、さっき見てたものが、自然に離れられる様になってるでしょう。違いますか、これこうやって。

自然に、自然にさっき見てたものから離れて行くんでしょう。そうでないと、こうやってうまく読めないからね。どう言う事ですかね。

これが人を救ってる姿でしょう。これだから人は安心してこうやって生活が出来るでしょう。

そうでなかったら、苦しくてしょうがないですよ、前に出会ったものが気になるって。

それが何時までたったって離れられないのでしょう。考え方が上って言うのを見ると。


だけど事実、人が生きてる様子は、私達が、どうしたらそう言う事から離れられるか、そう言う悩ましい引きずってるらしいもの、

どうしたら離れる事が出来るだろうかって考える事とは別にですよ、たちまち、そう言うものから解き放された活動、こうしてる

じゃないですか、今。こっちに用があるじゃないですか、修行するって事は。考え方の上の話じゃない。

実際に自分が生活してる、この目の当たりに生活してる実質の方に、こうやって触れてみると、答えがあるんじゃないですか。


だから、坐禅をなさる時にも、必ず最初に話されるのは、人間の思量分別、そう言うものの外、坐禅はそう言うもの扱わないよ、

って言って坐禅をさせてるでしょう。今日の処はですよ、「不思量底を拈来し、非思量底を拈来する思量」

そうやって、この香厳の古則を見ないと道元禅師が今、こうやって示されている様な処は触れる事がないですよ。

無理だね、人間の考え方の方の上からこれ読んで行ったら、本当に此処に書いてある様に「茫然なるがごとし」

ですよ。口開くと落っこっちゃうからね、たちまちですよ。


「しかあれば、樹問樹なり、人問人なり、」そのものがそのものを問うのでしょう。小さい子供さん達と話をすると、

本当に面白い。「おじさん、これ何?」(茶碗見せる)ってこやって聞くんです。これ何って。これは此処にある様にですね、樹問樹、

人問人ですよ。その物を持って来て、その物を問うんですよ、これ何って。

そうすると、へぼな大人はですよ、この子はこの事が分からないと理解するんですね。だから私に聞いて来たと思ってるんですよ。


それで、私が生まれてから後貯えた知識を総ざらえして、こうやって答えるわけじゃないですか。

茶碗だとか、何処どこで作ったとか、どんな形だとか、色んな事を答えるんでしょう。矢継ぎ早に色んな質問が出て来る。

誰が茶碗と名づけたのとか、何時からそう言う風に呼ぶ様になったとか、色んな事を聞かれるとですね、

あなた方の持ってる知識ではとても対応出来ない。


それよりも先に見ておかなきゃならないのは、この子はですね、これは何?って言う時、これが何か分からない人じゃない

んですよ。いいですか。ここが大事、ここが大事です。樹問樹、人問人て言うのは、そう言う事です。

それ持ってきてそれを問うんです。外の事を尋ねるんじゃないんですよ。分かっり切った事をこうやって持って来て、

これは何ですかって聞くんですよ。その時私達が答えるのは、これはこれに間違いないって答えたらいいんじゃないですか。

大人の大事な役目じゃないですか。そしたら子供は迷わずに行きますよ。これで良いんだって。

これがこれで間違いないんだ、これでいいんだって。


だから祖師方、こうやってパン!(両手で打つ)教えるじゃないですか。分かるか。それがそれに違いない。

どうして決着がつかないんですか。何か外の事がまだ有る様に思うからじゃないですか。ねぇ、こう言う処を見てみると面白い。


「挙樹問樹なり、挙西来意問西来意なり」今、子供の話した通りじゃないですか。

その物を以って、それ何って聞くのでしょう。「問著人また口㘅樹枝して問来するなり。口㘅枝にあらざれば、問著すること

あたわず。」
口へ枝を噛むって言うか、そう言う事がはっきりして無かったら、口で枝を噛むって事どういう事か

尋ねる力も無いのでしょう。子供たちはこれって言う事がちゃんとはっきりしてるから、これは何って尋ねるのでしょう。

皆尋ねる時見てごらんなさい。ちゃんとしてるものを聞いてますよ。そう思いませんか。

分からないんじゃなくて、分かりきった事をやってる上で、尋ねて来るんですよ。何を尋ねるんでしょう?


自分の小さい時なんかも、師匠(義衍老師)の側に居て、こうやって居ると、これ見せて、(ピンクの紙片みせる)「何色だ?」

って言うから、「これはピンクの様な色してるね」ってこうやって言うと、「ああ、そうか」って言う。それで話は終わる。ねえ。

見てる通りの色の話をしただけだから、それで済む事でしょう。表現が上手くいくかいかないかは別ですよ。

この見た通りの自分の事を表現する言葉が、相手が聞いた時に気に入らない事もあるかもしれない。

だけど子供なりに自分の見た、見えてるこの通りの色を、自分の知ってる言葉でこうやって表すだけじゃない。それだけですよ。


だけど大人って、本当に不思議ですよ。何回かこうやってやり取りをするとね、自信が無くなってくるのよね。自分で見てちゃんと

して、はっきりしている色がありながらさ、自分で答えた事が、あの、えぇ、本当に間違いがないとか、それで良いかって念を

押されて来ると、段々段々自信が無くなって、不思議ですね。

そう言うのを、私は師匠の側で、こう触れて、そう言う大人達の姿をよーく見てきた。ああ、大人ってこんなつまらないんだって。

自分で自滅して行くんですよ、はっきりしてる事が。不思議な、不思議なもんで、これでどこが大人が立派なんか。


何回見たってこの通りで、色が変わる訳じゃないじゃないですか。

それ位ちゃんとしてるんだけど、答えが、同じ答えを何回もして、それで間違いないか、本当に大丈夫か念を押されると、

グラグラとする。どこが揺らぐのでしょう、答えて。何が自分の中から崩れさすんでしょう、答えたもので。

こっち(頭)でやってるからでしょう。これ(紙)とこれ(自分)の関係だったら、絶対狂わないほど確かじゃないですか。

それ皆さんも日常使ってる訳でしょう、仕事をする時でも何でも。


だけど、下手をすると、これ(紙)を抜きにして、こっち(頭)だけで取り上げ始めると、ものがよく分からないって言う風になってる

んじゃないですか。ものがよく分からなくなる時は、こっち(頭)の方がはるかに比重が大きいね。

こっちの方(頭)大事にしてますよ。だけど、本当にものがどうなってるか知るのには、やっぱり実物じゃないですか。

それ、一番確かな答えがでるんじゃないですか。そう言う様な事がこう問われるのですよね。

まあそう言う様な事が、問われるんですね。


「満口の音声なし、」別にどうこう言う様な気配はない。「満言の口あらず。」ね。

その事実がただその通りあるだけで、ウンともスンとも言わない。じゃ、ウンともスンとも言わなかったら、その事実がなくなっちゃう

のかって、見えないのか、分からないのか、そう言う事じゃないでしょ。こんなにうまく出来てるじゃん。


「西来意を問著するときは、㘅西来意にて問著するなり。」その事をその事実を抜きにして、西来意を尋ねたって

しょうがないじゃないですか。本当にどうなってるんですかって言う時に、実物抜きで、本当にどうなってるんですかって聞いて、

どうするんだろうね。ああ、そうかって言うのかな。日常そうやって使ってるんじゃないですか。
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  1. 2017/04/24(月) 18:54:28|
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