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三十七品菩提分法 五力 Ⅰ

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三十七品  五力_01_01
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三十七品  五力_01_03


五力

一者、信力
二者、精進力
三者、念力
四者、定力
五者、慧力

「『信力』は、被自瞞無廻避処(自に瞞ぜられて廻避の処なし)なり、被他喚必廻頭(他に喚ばれては必ず廻頭す)なり。従生至老、只是這箇なり。七顛也放行なり、八倒也拈来なり。このゆゑに、信如水清珠(信は水清珠の如し)なり。伝法伝衣を信とす、伝仏伝祖なり。

「『精進力』は説取行不得底なり、行取説不得底なり。しかあればすなはち、説得一寸、不如説得一寸なり。行得一句、不如行得一句なり。力裏得力、これ精進力なり。」

「『念力』は、拽人鼻孔太殺人なり。このゆゑに、鼻孔拽人なり。抛玉引玉なり、抛塼引塼なり。更に、未抛也三十棒なり。天下人用著未磷なり。」

「『定力』或者如子得其母(或いは子の其の母を得るが如し)なり、或者如母得其子なり。或者如子得子なり、或者如母得其母なり。しかあれども、以頭換面にあらず、以金買金にあらず。唱而弥高なるのみなり。

「『慧力』は、年代深遠なり。如船遇度(船の度に遇ふが如し)なり。かるがゆゑに、ふるくはいわく、如度得船(度に船をえたるが如し)。いふこゝろは、度必是船(度は必ず是れ船なり。度の度を罣礙せざるを船といふ。春氷自消氷(春の氷自ら氷を消す)なり。


脚注に大智度論の注釈があります。「菩薩この五根を行じて増長して能く煩悩を破し、衆生を度し、無生法忍を得。是れを五力と名づく。復たつぎに天魔外道も、沮壊すること能わず、之を名づけて力となす」と。さっきの五根ですね、それを修行して、そして行くとですね、その中で自分の間違ったものの考え方、受けとり方、有りもしない事を想定して膨らませる、そういうものが皆取れる。そうすると人は救われる様になってる。

無生法忍ですから、これも具体例を挙げればですね、簡単な例ではですよ、滅茶苦茶ななひどい事を、誰かにこうやって浴びせかけられてもですよ、一々その言葉をその通りにこうやってその通り聞いてるとですね、人って腹の立たないもんなんですね。忍べる。我慢するんじゃなくて、ただその通りの事がその通り聞こえるだけで、問題にならない様になってる。やってみて下さい。これ凄い面白い。これやってる。

腹の立つ人はですよ。人から何か言われて腹の立つ人は絶対聞いちゃ居ないよ、その人の言う事を。勝手に自分で解釈してる。何であいつ俺の事、あんな事言うんだって、そう言う風にしてる。それは聞いてるんじゃない。人の言ってる事を自分で評価してる。相手が言ってない事を自分の中で想像して思いを膨らませて、そこで問題が起きてるって事をを知るべきでしょう。

ここでやってみれば分かる。皆さんに私がどんなひどい事を言ったって、腹の立つ人、ここに多分居ないよ。それ如何してかったら、喋ってる通りに聞いてるだけだからね。あの人あすこであんな事いってるって、他人事の様に聞ける力があれば大丈夫です。それ、皆さんそしたら救われますよ。日常一気に楽になりますよ。まあそう言うのが無生法忍と言うのでしょう。あるいはまたまた、次に天魔外道とか色んな事が出て来る。どんなものが出てきても、それらによって自分の生活が乱される事が無い、そう言う人になる。と言う様な事が力って言うんでしょう。

そこで入っていきますか。一番目の「信力」「自に瞞ぜられて廻避の処なし」一日の様子をみてもそうだけど、一日24時間全部自分自身の生き様ですよね。逃げ場所なんかないでしょ。誰もそうでしょ。全部一日中自分の生き様ですよ。だけど時々、騙される人はですね、自分の生き様なのに、何か人の様子があるんですね、その中に。あっちの人が、向こうが、あれが、これがとかって言ってますけども、そこら辺をよく見てください。本当にそうなのか。此処に示されている様に、全部一日中自分自身の本当の活動ばかりなのか。

「他に喚ばれては必ず廻頭す」オーって言うと、カチッと、ジリジリって言うと、ワン、まあ色んな事がありますけど、そう言う風にして、必ずないがしろに出来ない様になってます、その事が。これだから安全が守られるんでしょう。身が守られる、或いは人の役にも立つ。或いは慈悲心もそこに生ずるのでしょう。これが暫く経ってから、忘れた頃に振り向く様じゃ役に立たんね。

「従生至老、只是這箇なり。」本当に生まれてから死ぬる迄の短い間が此処に挙げて有ますけけれど、ただこう言う在り方をしてる。先ずこれ位の事は仏道を学ぶ時に、信ずべき事でしょう。ものの在り様としてどうなっているか。

自分の事を振り返った時に、小さい頃は、あの何か、色々人に言われて仕事をしてた様な気がしてた。皆さん方もそう言う経験があると思うんだけど、人に頼まれてその人の仕事をしてあげてる様な気がする。何で自分が今やってるのに、こんな時に、頼まれて人の仕事をしなきゃいけないかって思う様な気持ちがあった。

2,3日前にご夫婦がお寺へ尋ねてきた。わかる?って言われて、暫く顔を眺めてた。どっかで逢った様な気がするなあーっと思って、中学の同級生でした。72になったから、50年以上昔ですよね、きっとね。随分逢ってない。まあそんな事が2,3日前にあって、その時に、「貫道君はもう中学卒業する前に、二学期の終わり位から、どっか行っちゃったよね」って言われた。どっか行っちゃったよねって、修行に出たんですね。だから中学卒業しないで行っちゃった。中学は自分が居なくても卒業させてくれる所らしい。いいとこですね。私の母が卒業証書を貰いに行ったみたいですけど。だから14歳位から修行に出ました。早生まれですね。

その早い頃に修行に行って、早い頃に自分の中で気づいた。今までは、本当に人の事をやっているって誤解してましたね、私も。だけども生活してみるとですね、「これあっち持ってってくれ」て言われて、こうやって、「はい」って言ってこうやって(運ぶ物を持つ仕草)、こうやった時から、こうやっているのは全部自分がやってることですね、これね。わかりますね。他の人がやってませんよね。此処へ持って行って、「はい終わりました」って言うと、「ご苦労さん」て言う。ご苦労さんて、私がやってる事やって、お礼を言われる、面白い社会だねえ。そう言う事で、ああ人の仕事なんてしないもんだなって事をつくづく感じましたね。

ここ(頭)だけですよね、人の頼まれた事やってると思ってるのは。実際自分の生活を見ると、誰のことでもなく、本当に自分の生き様を自分でちゃんとしてるから、これをちゃんと自分でやらないと、自分の生活が成りたたないんですよね。人に頼まれたからどうでもいいってやると、自分の生活がいきなり滅茶苦茶になるんですね。凄い寂しいですよね。だからこれをキチッとやると自分の生活が整う。これ、多分ね早い頃に経験した。

ああ本当にこう言う風になってるのは、「従生至老、只是這箇なり」本当にただ自分のこの身心の活動が、いちいちあるだけです、一日中。まあ一般的には、頼まれてるらしい気配もあるんですよ。いいじゃないですか。だけどやってるのは、実際の内容を見ると、他人の事は一切やってない。あれで騙されると痛い目にあう。そう言うことですね。

「七顛也放行なり、八倒也拈来なり」七転び八起きってありますね。起きないんだ。どっちも転ぶのかね、七転八倒って。苦しんでる時に、ゴロゴロゴロゴロ、地べたを転げ回ってる様な様子です。七転び八起きはいいですよね。七回転んでも八回目には立ち上がる。あれはダルマさんでいいんだけども、ここは七転八倒ですよ。だけども、どちらにしても、放行とか拈来とかって色んな動きがあるんだけども、ただそう言う事が次から次へあるだけです。今申し上げた通りです。自分の活動してる様子が、次から次へ色んな形であるだけです。言葉から言うと、何となくあんまり有難く無い様な七転八倒も、有難く無い様だけども、ものの変化する様子です。

「このゆゑに、信如水清珠(信は水清珠の如し)なり。」一点の濁りも無い。良いですね。無色透明。仏法って言うものは、本来そう言うもんでしょう。無色透明、思想らしいものは一切無い。主義主張というものは仏法には無い。宗教って言う様なジャンルの中には入らないもんですね、そんなつまらないものに。誰でもの真相だからですよ。誰でもの本来の在り様だから。

「伝法伝衣を信とす、」そう言う風に本当に出来てる内容を皆さん方に拠り所とするのでしょう。何時の時代か変わるとか、誰かの言い分だとかって言う様な、そんなものじゃ無いですね、信て。崩そうと思っても崩れない程確かな内容です。だから次でも挙げてある。「伝仏伝祖なり。」そう言うものが信力なんですね。何を本当に私達は中心して頂くか。ものの本当の在り様に根ざすんでしょう。それで良いでしょう。

次に「精進」とあります。「『精進力』は説取行不得底なり、行取説不得底なり。」「しかあればすなはち、説得一寸、不如説得一寸なり。」てあるんですね。その事を本当に示そうと思ったら、その事を持ってくるのが一番早いと、こう言う事で、良いじゃないですか。実物を持ってきてやると一番早い。

人が音を聞いたらどうなるかって、バシッ!(机を打つ)こうやってやればバシッ!わかる事でしょう。人が物に触れたらどう言う風になるかって、こうやってやれば、(扇を開く)わかるんでしょう。本当はそうなってるんですよ。だけど、分からないんだね。何でしょうかね。パタパタパタパタ。(扇を開いて)「力裏得力、これ精進力なり。」力のある人は之で分かるんでしょう。(扇を開いて)このことで。これで。パタパタパタパタ純粋にこうやって触れてみるとよく分かる。パタパタパタパタ、パタパタパタパタ

これが分からないと、この内容を解こうと思ったって無理です。説明しようと思ったって。そうじゃないですか。どうなってますかって、説明するのに、幾ら説明が上手な人でもですよ、この内容が分からなかったら、説明できないでしょう。こうやって、バシッ!バシッ!(机を打つ)内容が分からないと説明出来ないでしょう。

じゃバシッ!こうやった時に内容が無いのかったら、バシッ!こうやったら、この中に全部あるのでしょう。音がした時どう言う風になるかって内容は、この中に全部示されているのでしょう。物に触れた時にどうなるかって言う事は、パタパタこうやった時に、皆この中にその内容示されている訳でしょう。説かれている訳でしょう。それなのに分からない。そう言う所に、その事に拠って本当にどうなっていいるかをきちっとして行くって、精進ですね。まじりっけがないって言う意味があるんですよ、精進には。純粋にだたその事だけで、本当にこうやって居てみると力が付くようになってる。


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