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三十七品菩提分法 五根 Ⅱ

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三十七品  五根 _02_01
三十七品  五根 _02_02
三十七品  五根 _02_03

念根

「枯木の赤肉団なり」
枯木の赤肉団って言うのは、この生身の身体の事を指すのですが、あえて枯木てつけてあるのはですね、この身体はですね、五官を見てみるとわかる様に、本当にただその通りに一緒になってこう活動するだけなんですね。枯木の様な、これに触れた時に、良いとも悪いとも、そこから芽が出て来ないです。この通り触れるだけです。大きいとも小さいとも何とも言わないです。ガシャーン!(茶碗の側で机を打つ)こうやって音を聞いても、ガシャーン!あっちで鳴った、こっちで鳴ったとか、一切そういうの出て来ない。ただその通り、そう言うの枯木って言います。枯れ木です。

じゃ枯れ木だったら、ガシャーン!こうやって音がしたら、感じないのかったら、そんな事はない。枯れ木も山の賑わいと言う位枯れててもですね、そこにあると、庭に枯れ木た植わっててもですね、風情があるもんですね。道元禅師が説明しておられる。「赤肉団を枯木といふ」本当のこの生身の身体の事を枯木と言いますって言ってる。この生身の身体はウンともスンとも言わない。その時その事があって、そのままそれで終わり、何時でも。愚図愚図言わせるのは、本当にここら辺(頭)だけじゃない。

「枯木は念根なり」極端な事上げればですよ、人がどの様に生きてるか、見て御覧なさい。取り上げた時だけ、その事に触れるだけでしょう。思いとしてもそうでしょう。取上げた時だけその事に触れるだけでしょう。取上げてない時に、その事に触れた人がいますか。あれがどうだこれがどうだって、取上げてない時に、それが問題になった人いますか。だからこうやって居れるんでしょう。

取上げないのに、いつもその事が気にかかってる様だったら、大変ですよ。これだけ色んな事が起こるんですからね、世の中で、毎日。その事が自分で取上げないのに、いつも気にかかってるんだったら、どうなるんだろう。こんなに色んな事があるんだけど、取上げてない時には気にもならない。問題に一切ならないで生活が出来る。それは喉が渇いて、お水をこう飲んでる時、災害の真っ只中で、それだけで全ての事から離れてる。

そういう時間を持ててる、人は。あれ、救いですよ。ご飯を食べてる時に幸せになるとか、ちょっと風呂に入らして貰って、アーって、ちょっと弁当作ってもらって食べた時に、全ての思いから離れるから。ただ今やってる事だけに、こうやって居れるから、人は救われるのでしょう。違いますか。

「摸索当の自己、これ念なり」下には手探りをして探すって言うけど、思いって言うものは、そう言う風なものでしょう。「有身のときの念あり、無心のときも念あり」身体の事は、身体を認める時の思いもあれば、身体を認めない時の、知らないで動いてる働きもある、本当でしょう。

この前映画館に行った人の話を聞いた。映画館に行って映画を見てる時に、自分を振り返ってみると、どう言う風に過ごしてたかって言うと、画面の様子がって言う様なことはないって言ってました。映画の画面が如何こうって事は無い。本当に日常茶飯にこうやって、こうやってって触れてる様な感じ。自分は観客なんだけども、見てるなんて言う気配は無く、そこで映写されてる様子が、本当にそこに目の当たりに、本当にある様に、こうやって活動してるだけ。ご覧の様に、自分らしい身体らしいものは一つも認めないのに、活動してる様子がちゃんとあるんですね。

映画館から出てきて、ああ映画見ていたんだって、ふっと自分に、我に帰るとですね、じゃ映画を見てる時と、映画館から外へ出てきた時と、内容が違うのかって言ったら、今も、映画館に行って我を忘れていた様子も全く変わらない。だけど不思議ですね、こうやって映画館に入って行くと、此処スクリーンがあると、何かそこに写されてる物をこうやって見てますから。

だけど皆さん、この位のテレビの画面でもですね、見てる時にどの位の大きさに見えるかわかりますか。テレビを見てる時、本当に見てる時には、回りに色んな物があっても一切見ないでしょう。テレビがこうあって、ここら辺に色んな物がこう有るじゃないですか。だけど初めはテレビみるから、そう言う様子が全部こう見えるんだけども、見てると、テレビの大きさがこの位だって言う風に見てる人は、一人もいませんね。どうしてああなるんでしょう。不思議ですね。その位に見える様になって来ると、見てる気配が全く無くなる。見てる気配が全く無くなって、どう言う風になってるかって言うと、実物がそこで展開されてる位な感じになってる。

だから、人って少なくとも、それ位の体験は誰でもしている。本当に物をこう触れる時には、大体そう成ってるんじゃないですか。人らしいものが無くなるんです。自分らしいものを立ててるものが、知らないうちに消えてしまうんですね。

「有心の念あり、無身の念あり。尽大地の命根、これを念根とせり。尽十方仏の命根、これは念根なり。一念に多人あり、一人に多念あり。しかあれども、有念人あり、無念人あり。人にかならずしも念あるにあらず、念かならずしも人にかゝれるにあらず。しかありといへども、この念根、よく持して究尽の功徳あり。」

長々と道元禅師が色々示されておられるけども、今申し上げた様なことです。誰でも少なくとも、ちょっと気をつければ、そう言う風な生活をしてます。知らない内に忘れちゃうんだね、全部これ。仕事をしててもそうでしょ。仕事をしてる事忘れてやってるじゃないですか。そう言う時のことを本当にこう触れてみると、何も言うことは無いでしょ。自分をたてて観察してる様な気配とは全く違う。後で如何こうするって言う様な事はしないでしょう。その時の様子だけでしょう、ずーっと。それで終わりでしょう。それが本当に生きてる時の様子でしょう。そんな事が究尽の功徳なんでしょう。測り尽くす事が出来ない、究め尽くす事が出来ない位豊かな内容なんでしょう。

これ誰しもが持ってるんですよ。生活してるのに、ただそう言う事に触れてその内容の豊かさを知らないと、やっぱり自分の考えてる、教えられた学んだ何か特別な境地とか特別な世界、そう言うものを頭に描いてる。そう言うものだけを追い求めるって言うのが、何か修行してるらしい、ものを学んでるらしい気配になってる。それは皆まやかしですよ。だから仏教は、宗教は阿片の様なものだって言われる様な事になるのでしょう。本物は違うよね、本物は。

ちょっと別の角度から言えば、人は何時不満が起きるのですか、何処で問題が起こるのですか、何処から不満が起きるんですか。問題が起きるんですか。イライラするのですか。見た事ありますか、自分でも。少くとも最初からずーっと腹立ってる人居ませんからね。腹が立ったって言う以上は、その前は腹が立ってなかったに違いない。じゃ何処からどうして腹が立ったか。腹が立つって言うのはこのものの上の働きですから、他のものを見たって見つかりませんよね、原因は。じゃ、これ、これ触れてたら、何処から腹が立つ様に、どうなって腹が立つ様になったか、明確にわかるようになってる筈ですから。

本当はどうなってるかって、きちっと見定めて大丈夫だって、そこまでこれがやるのでしょう。誰がやるんですか。自分がやるしかないじゃないですか。他の人じゃ点検できないですよ、これ、自分の内容どうなってるか。手出せないんだよ、他の人は一切。これに対して。自分でやるしかない。自分がやるしかないんだよ。その位の事はわかっているんだけども、誰か人がやってくれると思ってる。ねえ、もっといい話があればと思ってる。寝て朝起きたらちゃんと出来てれば一番いいのでしょう。そんな修行は無い。これ極普通の話ですよ。

勉強そうやってやるんじゃんね。難しくはない。滅茶苦茶ひどい事を、言葉浴びせかけられてもですよ。聞いているとですね、ただその通りの事が聞こえるだけなんですね。それ不思議な位そうですよ。腹が立つもんじゃないですよ。ちゃーんと聞いてると。何言ってるんだっていう風なもの交えてこうやってやると、段々変になってくる。何故変になるかって言うと、向こうが言ってないのに、自分で色んなもの、そこへ付けて聞くから、変になるんです。それわかるでしょう。向こうの人は、私が聞く様なやり方してないですよ。

ひどい事を、確かにひどい事かも知れないけど、その通りの事が言われているだけで、何だ、あいつ俺の事をそんな風に言うんだって言う風には、聞こえて来ないもんなんですね。それは自分が付けた言葉なんです、聞く時に。向こうの人が付けたんじゃないんですよ。聞く人があいつ俺に対して何であんなひどい事言うんだっていう風につけて聞くってことは、私の責任ですよ。間違えてるでしょ、聞き方が。向こうが言ってない事を、向こうが言った様に受け取るって変じゃないですか。過ちはそう言う所で起こるのでしょう。必ず自分が余分な事してますよ。

それをやらないと、本当にその通りの事が、ただその通りにうけがえる様に出来てる。だから静かに話し合いも出来るし、静かに注意も出来る。静かに話し合いが出来て、静かに言われるから、静かに向こうも黙すんです。腹が立ってから相手に注意して御覧なさい。腹が立った時に、腹が立って注意したら、先ず聞く前にその人も腹が立つ。あと聞きゃしないよね。そういう風に出来てる。面白いと思うよ。これ位の時間でいいかしら。勉強の仕方をちょっと、少し知ってもらって、楽しんで生活して貰えたら良い。


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コメント

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大変な時間をさいて書きおこししていただいて、本当にありがとうございます。毎日繰り返し読ませていただいています。

コメントありがとうございます

コメントありがとうございます。コメント頂くと元気がでます。
遠くにいらっしゃるのですか。貫道老師にお伝えしましたら、頷かれてました。

書き起こしは、毎日少しづつなので、大丈夫です。楽しいところもあります。
貴重なご提唱なので、学んでる方と分かち合う事が出来ればいいなとおもいます。
これからも、お読みくださいね。