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坐禅箴 Ⅸ

2019.9.29 (前半は前回とダブっています)

音声はこちら ↓

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最初少し読んでから入りたいと思います。

「江西大寂禅師ちなみに南嶽大慧禅師に参学するに、密受心印よりこのかた、つねに坐禅す。南嶽ある時とき大寂のところにゆきてとふ、『大徳、坐禅図箇什麼』。
 この問、しづかに巧夫参究すべし。そのゆゑは、坐禅より向上にあるべき図のあるか、坐禅より格外に図すべき道のいまだしきか、すべて図すべからざるか。当時坐禅せるに、いかなる図か現成すると問著するか。審細に巧夫すべし。」


まあその辺までこう見てもらって。此処でお師匠さんとお弟子さんの間に交わされたものがありますね。この江西の大寂馬祖道一禅師と言っておりますけども、馬祖禅師は南嶽大慧懐譲禅師の、南嶽懐譲禅師の高弟、お弟子さんの中でも優れた方です。そのトップに位置する位の方が、馬祖道一禅師です。江西の大寂禅師。
その方を道元禅師は評価するのに、お師匠さんについてですね、「密受心印よりこのかた、つねに坐禅す。」って言う事は、ものの本当の在り様がよーく伝わっている人だと言う事です。まだ勉強不足な人ではない、と言う意味ですね。「密受心印よりこのかた、」と言う事は。一般にはね、ここがはっきりしないもんだから、この後出て来る会話がですね、えらい方向に進展して行く事が多い訳です。で、そこを先ず押さえといて欲しい。
 そしてそう言う方が常に坐禅をしておられる。馬祖道一禅師がですねぇ、常に坐禅をしておられるので、お師匠さんがある時そこへ行きましてね、「あなたは坐禅をして何をしていうるのか。」と聞いてます。皆さんは坐禅をして何をしようとするのでしょう。まあそれはちょっとそこへ置いときますね。
「この問、しづかに 巧夫参究すべし。」って言う事は、私達に向けられている言葉でしょう。ね、お互いに、坐ってして一体何をしようとしているのか。で、道元禅師がその内容について幾つか挙げておられる。先ず一つは、「坐禅より向上にあるべき図のあるか、」どう言う事かって言うと、今坐って居る時に、今坐っている事の他に未だ何か向かうべきもの、を頭に描いているか、或いは求めているのか、立てて坐っている、そうじゃなくて、本当に今坐っている時に、今坐っている様子だけがあるだけなのか。
 坐禅で分かりにくい時はですね、こう言うものをこうやって見てみると分かる。チーン!(おりんを鳴らす)音がした時に皆さん音を聞きますけど、この音を聞く時に、この音の他に何か聞きに行きますか、この音を聞く時にチーン!他のものを聞きに行く様な事をしますか。しないでしょう。この音を聞くって言う事は、チーン!です。ところが皆さんの坐禅はひょっとすると、坐禅をしながら、どっかに向かうもの持ってませんか。「悟りたい」とか「はっきりしたい」とか「すっきりしたい」とか、「あれが問題で解決すると良いな」とか、色んなもの持ってるでしょう。こう言う時はどうですか。チーン!その様になりたいとかそんな風に聞こえますか。何にもそう言うもの無しに只本当に音がチーン!するばかりでしょう。チンチン!
 こう言う事が、今問われてる。「坐禅より向上にあるべき図のあるか、」本当に坐っていると言う事は、今坐っている様子だけだと言う事でしょう。それが本当に坐っている時の様子でしょう。
同じ様に、「坐禅より格外に図すべき道のいまだしきか、」こうやって坐っている他に、格外ですから、この他に何か坐禅の、本当の坐禅の坐り方がどっかにあるのか、若しそんな事があるんだったら、変でしょう。更に「すべて図すべからざるか。」図は描くでも良いですよね。図るでも良いですよね。要するに、平易な言葉で言えば、もう一つの絵が、自分が今坐っている時に、もう一つの絵が有るのかって言う事です。これ今坐ってる時、そこにもう一つの坐ってる様子が出て来る様な事があるのか。そしたら、若し出て来るんだったら、そっちこっちって比べる物が出て来ますから、坐禅をしてる時にそのままでは居られなくなるのでしょう、優劣とか是非。二つ出て来たら。ところが有り難い事に、坐ってる時に、本当に此処は「すべて図すべからざるか。」って、道元さんが言っておられる。他の絵の様に、坐ってる絵が、もう一枚の絵が出て来ないんですよ、こうやって坐ってる時に。誰が坐ってるのを見たって。今坐ってる様子だけでしょう、ねぇ。
 「当時坐禅せるに、いかなる図か現成すると問著するか。」坐ってる時に、どの様に本当になってるかって、尋ねてます。「審細に巧夫すべし。」だから、よくよくつまびらかに、はっきりさせる必要があるって、先ずそうなってますね。それが皆さんにも要求される。
 「彫龍を愛するより、すゝみて真龍を愛すべし。」とある。考え方で取り扱ってるものと実物その物の違いがはっきりしてますから、坐禅をするって言う事は、考え方の上のものを取り扱わない。実物真龍に、生き物の様子、それに用がある。考えの方は彫龍です。ああだった、こうだったとか、ああじゃないか、こうじゃないか、こうなるんじゃないか、皆描いてるもの、それが彫龍と言いますね。彫り物の龍。真龍の方は、今この全身で活動してる生き生きとした様子そのものです。で、そう言う思考の上のものを愛するよりも、進みて自分自身の真相そのものを、本当に相手にする、問題にして向き合って行かなければ、坐禅にならないと言う事です。
 「彫龍・真龍ともに雲雨の能あることを学すべし。」両方ともそれぞれの働きが有りますけれども、一方は考え方の上のものを取り扱っては、決着がつかないって言う事がはっきりしてる。何処まで行っても。論理を推し進めて、斯くある、本当になるほどそうなってるな、理解ちゃんと出来るって。幾ら、本当に不思議ですねぇ、理解では自分の中がですねぇ、許せないものがある。それだから、修行する時に、考え方で修行しないのね。そう言う事が、ここに「雲雨の能あることを学すべし。」って言うんですね。雲を呼び雨を降らせる力とあります。考え方に頼れば、そう言う風な働きになる。真実の物に本当にこうやって触れていると、そのものに依ってはっきりする。どちらも力がありますけど。
 エー「遠を貴することなかれ、遠を賤とすることなかれ」人間て不思議な動物でですね、特に日本(人)の生き様の中に舶来品なんて言う言葉が使われていますね。他所から来た物は凄く素晴らしいものの様に思う癖があるじゃない。日本の物も他所の国からすれば舶来品ですよ。その位日本の文化そのものにも、他所の国に劣らない素晴らしいものが有りながらですねぇ、本当に近くの物は駄目ですね、遠くの物を大事にする癖が有る、一つはね。もう一つは逆に、遠くの物を卑しい、つまらないって言う扱いをする働きもある。まあどちらもあるんだけども、「遠に慣熟なるべし。」ってあります。どちらもですね、善し悪しを付けずに、親しくそのものにこうやって居てみる必要がある。遠いから、他所から来たものだから大事だとか、他所から来たものだからどうでも良い、どっちもそう言う思いを付けずにそのものに親しくこうやって居るって事が慣熟ですね。
 人の話でもそう。あの人の話は良い、この人の話はつまらないってそう言う評価をした上から人の話を聞く様な事はしない。本当に喋ってる通りに居てみる。そうすると此処にある様に、熟すと言う事がある。あの、渋柿でもそうだけど、木に付いたままですね、時間が経つとですね、甘みがちゃーんと増してくる様になってる。だから熟する迄待てと言います。上は慣れるだから、習慣性ですね。それを習い性とするって言う事でしょう。何時でもその事と仲良く只居る、そう言う過ごし方をする。それに色んなもの付けない。もう熟したんじゃないかって言って、こうやって、チンチンチンチン(おりんを打つ)もう熟したんじゃないかって、チンチンチンメロンでも何でも、触っちゃ押さえたりするとですね、腐っちゃうんだよ。待てないんだよね、中々ね、熟れるまで。人間にはなんかそう言う変な働きがあるね。
 遠い方も近い方も同じだと書いてある。「近を賤することなかれ、」旦那さんが奥さんの事を身近に居るから扱いが乱暴になる。奥さんは旦那さんが身近にいるから、フンって言って扱う。そう言う様な事が一つは上げられる。だけど他所の人と触れるとですね、全然違う態度取るでしょう、ねぇ。自分のものだと思ってるから、もの凄いぞんざいに扱う。この位言えば分かりそうだと思って、ぞんざいに扱う。そう言うな事が一例です。エー「近を賤することなかれ、近を貴することなかれ、」自分の子供は他所の子供よりも、誰よりも大事だって言って、そうやって抱え込む様なものも、近を身近なものを尊しとする様子でしょう。そうするとやっぱり我が子だけ可愛い様じゃ不味いんでしょう。正しくものを本当にこうやって受け取る生き方に成らないじゃん。平等と言う様な言葉もあるけども、同じ様にこうやって分け隔てなく扱える力ってものが私達に求められてる。「近に慣熟なるべし。」
 そこで更に、具体的な事を道元禅師が上げておられる。「目をかろくすることなかれ、目をおもくすることなかれ。」目は物が見える道具です。こうやって見て。大事にもしなければ粗末にもしないと言うのが、目を本当に使って物を見てる時の在り様でなければならない。目には物を見る時、優劣を付けないから。是非を付けて物を見た事がない、眼は。本来の眼。ところが知らない人はすぐ、見てる事と考える事を一緒にしてしまう。見て色んな事を思う事も、見てる事だと思ってる。そうじゃない。あれは考えてる事です。目は絶対に思うと言う事を付けない。それでこの眼に学ぶ必要があるのです。純粋に皆さんの持ってる眼に学んでみると、色んな事がはっきりするじゃない。眼は一切好き嫌いを起こさないから、どんな物でもその通り、いい加減に見た事は一度も無い。どちらもいい加減に扱わない。それだから素晴らしいんでしょう。そこへ、考え方をちょっと見てる物へ付けると、すぐ見た物に対して優劣をみるから、優劣を見ると、折角ちゃんと見てるんだけども、どうでも良いって思わせるから、フンと、こうなる。ねぇ。そう言う事が如実に行われてる訳でしょう。
 耳でもそう。「耳をおもくすることなかれ、耳をかろくすることなかれ、」で、大事な事はその次にありますね。「耳目をして」耳や眼、こう言うものの働きを借りて、「聡明ならしむべし。」ってある。真相、ものの在り様を本当にはっきり見届けなさいって言うんですよ。その眼の、耳や眼を以て聡明に、大寂禅師が坐ってる時の様子にこうやって触れて見るとどうなってるかって言う事でしょう、皆さんが。今坐ってる様子以外に何もそこに無いのでしょう。まあ一、二の例をあげれば、「耳目をして聡明」の部類のものを上げれば、何回もこう話してるかもしれませんが、眼って言うものは本当に今触れてる様子だけですよ、何時でも。見えてる物は。それに疑義を持つ人は居ないと思う。
 眼って何時でも今こう触れてるものがあるだけ。もう一つの見え方って言うものは絶対に無い。何処へ向かったってそうでしょう。その通りの様子があるだけで、もう一つの見え方が一緒に出て来るって事無いでしょう。耳だってそうでしょう。チリチリチリチリ(鈴を鳴らす)こうやってもう一つの聞こえ方が一緒に出て来る事は無いでしょう。必ずその音がしてる時、その時に音が、その通りあるだけで。音が鳴り止んでから、チリチリチリチリチリ聞こえると言う様な事ない。これで聡明になったでしょう、皆さん。なりませんか、皆さん。
自分の生活見てご覧なさい。こんな風に成ってないでしょう。昔聞いたもの、昔見たもの、そう言うものと道連れに生きてるでしょう、皆さん。それ自分の今の様子と違うじゃないですか。こっちはこうやって、チリチリチリチリこれがちょっとおかしいんじゃって、こうやって喋ったものでも、喋り終わると何処にも取り上げるものが無い。そう言う風に耳はなってるでしょう。だけど皆さんはそうじゃないじゃない。あの時あの人酷い事私に言ったって、ずーっと。何回でもそうやってそれを問題にして生きてるでしょう。聡明じゃないでしょう。愚図でしょう。それ、作り変えるんじゃなくて、実際にそう言う風になってるでしょう、皆さんの今の耳は。音がしてると聞こえて、音が止むと聞こえないでしょう、間違いなく。なんで普段もその様に生活しないんだろう。
 眼はこうやって向かってる物が必ず見えるだけです。向かってない物が見える事は眼には無いです。昔あーだった、こーだったって言う様な事はこんな処に出て来ない。こうやって向かった時に、昔あーだったって、そんな風に見える事は無い。それは頭の中で描いてる方の話であって、見えてる事とは違います。こう言う事が行われると言う事が、「耳目をして聡明ならしむ」と言う事でしょう。これが皆さんが修行してる様子じゃない。ねぇ。自分の事だから誰に聞かなくても、やってみると間違いなくそうなってる、一方では。そうなってる自分があるにも拘わらず、生活はそれと全く違う生活をして苦しんでるって言う事を見ると、ああ自分は、本当の事を大事にしてないなぁ、こう言う生活をしてるからつまらなくなるんだって言う事が良く分かるでしょう。
 これがゴミだって事も良く分かるでしょう。だからこのゴミを取ったら綺麗になるのでしょう。付かないのでしょう、こうやって物を見る時に。ゴミが一切付かずに物を見てるでしょう、何時も。その通りの様子があるだけ。一切ゴミが付かないじゃん。
 江西の大寂禅師が坐ってる時、坐ってる様子、本当に底抜け坐ってる様子だけで、一点も手を付けて何かする気配が無い。それが坐ってる時の皆さんの在り様じゃない。知らない人は坐って何かやるのでしょう、他の事を。どうですか。坐るって何か他の事をやる様に思ってませんか。本当に只こうやって、今坐ってる様子だけで、こうやって居ますか。ああ考えちゃいけないとか、手を付けちゃいけないとか、何かそう言う、色んな事やってませんか。教えられた事を頭に描くから、ああこんな事やっててはいけない、思いが出て来たら手を付けないで放っとけば良い、気にしない様にしてれば良いんだとか、只このまま居れば良いとか、ありのまま、もう色んな事を頭に描いてですね、それじゃ坐ってる時に何枚もの絵が有るって言う事でしょう。皆さんどうですか。眼でこうやった時に、何枚もの絵がいっぺんに浮かびますか。今の様子だけでしょう。そうやって過ごす。こんなに丁寧に、兎に角道元禅師が示しておられる。
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