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他心通 Ⅳ

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他心通_Ⅳ_04

 「国師かならずしも老僧にあらず、老僧かならず拳頭なり。」慧忠国師は必ずしも老僧ではない。目の前に居る慧忠国師を指して、老僧と言うのではない。今申し上げてる様に、対象物として向こうに有る様に思ってる物が、皆自分自身の今の様子ですからねぇ。他人の事じゃなくて、自分自身の様子がそうさせてる。「老僧かならず拳頭なり。」と言わせる所以でしょう。「老僧かならず拳頭なり。」と言う事は、向こうの事じゃなくて自分自身の在り様がそのままですね。脚注には真実の人って、拳頭を真実の人って訳しておられます。自分自身の様子です。
 そこに柱があるって、こうやって言ってるけど、自分自身の様子でしょう。高橋さんも来ておられる。自分自身の様子ですよ。名前を挙げて、何か向こうの人の様にこうやって言ってるけど、全部一人一人自分自身の今様子ですよ。「おい、ちょっとそれ取って」って言って、そうすると何かこう言う色々動くけど、全部自分自身の様子ですよ。エーどっかで騙されるんだよね、知らない内に。自分の事じゃないって言う風にきっとなってる。だけど口が酸っぱくなるほど、耳に蛸が出来るか烏賊になるか分かりませんが、兎に角何回も何回も話していますけど、本当に一切他人の様子は無いのです。生涯そうやって、このもの(身心)の自活動をして終わってるんです。
 で、騙される人はその自活動の中に自分と他人の様子を立てて葛藤するわけです。単直に言えばそれだけじゃん。なんで俺を馬鹿にする、そんな言い方はないだろう。だけど耳に聞いてみるとですね、馬鹿にしたって言う様な事は無いし、そんな言い方って言うものも無い。あれは皆聞いてる人が自分の中でつけた言葉でしょう。そう言うものの見方をするから、自分の中で、お前何言ってたって言う風にしか受け取れないから、腹の立つ材料を自分の中で思い起こすのでしょう。だけど不思議だねぇ。そうやって自分の中で腹の立つ様な材料を思い起こすと、火が付いてくるんだねぇ、その思いに。居たたまれなくなって来る。「あいつ会う度にあんな事俺に言う、本当に。」問題はそれだけだからね、本当は。自分の中でそうやって思った事が自分を苦しめてるだけですよ。
 それ余りひどく言うと、じゃ向こうはどうでも良いかって言う風に思われるのでちょっと心外ですけれども。勿論一人一人がそう言う風に生きていくとですね、人をそうやってけなす様な事は無くなって来る訳じゃない。自己責任て言う風に言うとですね、向こうはどうでも良いって言う風に取られるから、そう言う狭い範囲の話じゃない。自己責任と言う風な、狭い話ではない。自分の中でそう言うものを起こして問題が起きてるって言う事だけを知って貰えば良い。その証拠にやってみれば分かる。どんな事が思えても、それを相手にしないで、思えた事にこうやってそのまま居て、思えただけで皆終わって行くじゃん。それ自分で手をだすと、そのまま終わらない様になって行くじゃん。そう言う事だけをこうやって勉強したら良い。「老僧かならず拳頭なり。」って言う位、本当に自分自身の様子ですよ。
 エーそれで「大耳三蔵はるかに西天より来たりといへども、」遠くインドからおこし頂いたけれども、「この心をしらざることは、」こう言う仏道の真意、自分自身の真相を知らない言う事は、「仏法を学せざるによりてなり。」インドに居て、仏教の発祥国だから、色んな何だろう、経文や戒律や論理の展開された物が残っているのでしょう。だから玄奘三蔵さんもあの頃中国を後にして、お隣のインドまで長い旅をして、そして沢山のそう言う経文を持ち帰って中国で翻訳をされて、一応こう言う事が仏法の内容として有るって言う様な事が翻訳された、中国語で中国の人に紹介されたって言う事になるのでしょう。で、この大耳三蔵はインドの方で、そう言う中で勉強した方です。だけども何で仏法を学ばなかったのかねぇ。
 私が思う中でですね、こう言う方が居る。話をしてですね、論理を展開して、なるほど、ああそう言う事だったらこうなるんだって言う事が、論理の上で理解されないと実践出来ない人がいる。不思議な人がいるね。もし仏道でそう言う事をやってたら、無理ですよ。悟るって言う事はどう言う事ですかって、こう言う事だ、ああ言う事だ、なるほどそう、それが悟るってこう言う事だって分かってから修行をする、そう言う人ってないじゃないですか。もし分かったら用が無くなる。学問じゃ分からないんですよね。ここにあるお茶の味はって、飲まずにお茶の味は分からないって言う事でしょう。仏道を学ばない人は実践しないんだよ。ここだけ(頭を指す)で勉強する。
 考え方を止めてごらん、そしたら楽になりますよって、そうかなぁ、考え方を止めたらああなるこうなる、そうするとこうなるから楽になるかなぁ。まあ本当にこうなるんだって分かるとですね、分かった様に思って、やらない。沢山居る。離してごらんて、離してみると、(扇子を手から離す)離すって言う事がどう言う事なのか、他人から聞かなくても良く分かるじゃん。離したらどうなりますかって言うと、ああなるこうなるって、思考を相手に一生懸命やるのよ。それは絶対仏道の修行ではない、学んでる人では。
 こうやって部屋を一回り見て、こうやって見てみると、どう言う風になるかよく分かるでしょう。人間の生きてる様子って、毎日生活してる、物に触れて生きてるんだけど、どう言う風に生きてるかって、こんな風に生きてるんですよ。執着なんか絶対しないんですよ。どんな物を見ても。しないと言うより出来ないんですよ。次の物を見るって言う事になると。否応なしに前の物から自然に離れる様になってる。そんなに上手く毎日物を見て生活してるのに、あいつが俺を叩いたとかあいつを俺をって言って、何か有った事が離れないでいるってのは何ですか。そしてそれがどうしたらすっきり出来るんだろうって考えて、どう言う風にして修行するんですか。
 本当はこうやって修行するんでしょう。これ実践だから、やってみると、ああなるほどこんなになってるんだって、別に何もしなくてもちゃーんと分かる。自分が思ってる事と全く違う位、みごとに出来てるって言う事でしょう。今すぐ手を付ける以前に出来てるから役に立つんでしょう。これ何日も何年もこうやってやっと出来る様になったら、何時使えるって。この様子って今既(気づいた時)に出来てるから、皆この様にこうやってやってみると(目を開いて部屋を一巡りさせる)、皆そんなになってる。これから修行してそうなる必要が無いほど、自分の様子としてこう言う生活をしてるって言う事、これが自分の真相に目を向けて自覚するって事じゃない。これに気が付くと一気に終わるじゃない。
 こう言う事を大耳、大きな耳、どの位象の様にこんなパタパタするのかしら、大耳三蔵、よっぽど何でも耳に入る位大きな耳なんだろうね。こうきっとね、意味合いとしてはね。一つも漏らす事無い位、聞ける大きな耳って言う事かも知れないね。それ位大耳三蔵って言うネームはですね、きっと素晴らしい名前なんだろうと思うけども、それでも仏道を学ぶって言う事を知らない。道元禅師はここを厳しく言うんですね。
 「いたづらに外道二乗のみちをのみまなべるによりてなり。」常識的な、普通の自分を立てておいて、物を向こうにおいといて、そしてどうかする様な、そう言う世界でものを学んでいるだけだ。二乗って言うけど、一乗って言うのは、ただ何時でも今の様子があるだけですよ。一乘。二乗って言うのは、今の様子の中に必ず過去の様子とか未来の様子をこうやって引き寄せて生きてる人。乗り物が二つ有るから、どっちへ乗ったら間違い無く進むだろうと思う位選択をしなきゃならない。だけども誰も一乗の世界に本当は居るのでしょう。法華経にも説いてある。必ず唯一乗、今の様子以外に生活する場所が無いんだもん。他の所で何かした試しが無い。こんな事は何百回となくここで話して来てる。そしてしかもこの自分の身心と言う、このものの在る所でこのものが活動する以外に無いって言う位、これははっきりしてる。それ仏道の様子です。一般の教えの中にはそう言う事は説かれない。必ず自分と自分以外のものを分けて最初に見てる。時間でも。
 「国師かさねてとふ、」慧忠国師が「『汝道、老僧即今在什麼処』。ここに三蔵さらにいたづらのことばをたてまつる。」いたずらの言葉って言うのは考え方で取り上げた話って事です。事実でなく。「国師かさねてとふ、『汝道、老僧即今在什麼処』。ときに三蔵ややひさしくあれども、」暫く、その三回問われて、三回目にですね、今まで二回答えた事が慧忠国師に本当に受け入れて貰ってないなって事を少し感じ始めている。だから、「ウーン何て言ったら良いか」って言って居る処が、ややひさしくあれども。それでも「茫然として祇対なし。」結局考え方の上でしか物を見てないって言う事でしょう。本当に自分自身の今の生き様そのものにこうやって居たら、こんなへぼな事はしない。
 そこで、「国師ときに三蔵を叱していはく、『『遮野狐精、他心通在什麼処(遮の野狐精、他心通什麼処にか在る)』。」かくの如く叱られたけれども、三蔵なお言う事なし。気が付かなかった。そこまで言われても、自分の話を、対面して話をしてる内容がズレいて、ああって、自分の様子がズレてる事さえ気づかない。だから謝る事も無い、出来ない。通じる道がない。「通路なし。」「祇対せず、通路なし。」これじゃあ他心通にならない、と言う事でしょうね。
 道元禅師と言う方のご文章を本当に拝見して読んでると、道元禅師が常日頃ご修行している中に、どう言う風に生活しておられるって言う事が、目の当たりにこう見える気がしますね、こうやって。本当にこうやって過ごされた人なんだと、道元禅師と言う方は。

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