FC2ブログ

安居 Ⅹ

音声はこちら ↓

安居 Ⅹ-1
安居 Ⅹ-2
安居 Ⅹ-3
安居 Ⅹ-4


こんな風にして九十日の間に色んな事が行われるものがですね、道元禅師がご自分の体験談の中でかくも精密に記録されて日本に伝えられている事を読み取ると、驚く様な記憶力でもありますねぇ。皆さんが他の家に行ったら、そこの家の間取りがどうなってるとか、其処にどんな花が活けてあったかとか、夕食はどんな食事が出されたとか作り方がどうだと、その位まで書くと言う事でしょう。体験した事を全て。そうやって九十日ないがしろに過ごさないと言う事、凄いですね、やっぱり。まあちょっと休憩します。

「知事・頭首、小師・法眷、まづ方丈内にまうでて人事す。住持人もし隔宿より免人事せば、さらに方丈にもうづべからず。」人事って今読むのかしら。会社なんか人事。こう言う処から出て来てます。知事も仏教用語です。知事、県知事の知事。知事は修行道場の六知事と言う、いはゆる総務とか色々な役職の名前が挙げられますけども。「方丈にまうでて人事す。」

で、十五日ですから、十五日の朝食の前ですから、粥前、朝お粥のまえって事は、朝のお勤めの後、食事が出るまでの間に其処に集まってる人達は、住職の処に行って、ご挨拶をする訳ですね。そう言う事が此処で人事、人事として行われてます。そこで、「住持人もし隔宿より免人事せば、」とありますが、前日にもう到着している人は、前の日に既に方丈と顔合わせが出来ているので、この日はご免て、やらなくても良いと言う事でしょうね。そう言う事を方丈にもうず、さらに方丈にもうずべからず、ですから、二回もやらないと言う事です。その事が次に書いて有る。「『免人事と』いふは、十四日より、住持人、あるいは頌子あるいは法語をかける牓を、方丈門の東頬に貼せり。あるいは雲堂前にも貼す。」と。

この「十五日の陞座罷、」住職が座に登って説法をする、それが終わってから「住持人、法座よりおりて」法座は高い所にありますから、階段がついてる。だから「おりて堦のまへにたつ。」須弥壇の正面に階段が付けてあって、正面から須弥壇の上に登って行くって言うのが正式です。「正堦」真ん中から登って行く。今はほとんど左から登って右から降りる様に使ってますけど。

「拝席の北頭をふみて、面南してたつ。」そこにお拝をする敷物が敷いてあるから、その北側に立って、面を南側、本尊様を背中の方に頂く様にして、自分が南を向くと言う事ですね。立つ。「知事、近前して両展三拝す。」さっきの様な事ですね。最初のお拝の時に、いっぺん目ですね、「この際の安居禁足、巾瓶に奉することを獲たり。ただ和尚の法力の資事に仗りて、願はくは難事から無んことを。」その住職の元で、主な六人の役職、部長と言ったら良く分かるかな。部長職の人ですね、会社で言えば知事と言うのは。課長職の人を頭首と言います。六人、まあそう言う人達が、先ず最初に部長職の方達が住職と人事する。向き合ってご挨拶をする。

向き合ってご挨拶をする時には、知事の方々から住職に対してお拝をして次の様に挨拶される。此の際九十日ここで皆で足止めをして修行する。あなたのおそばで仕えるんだけども、どうかただ和尚の法力の支持によりて、あなたのお力によって無魔円成って言う言葉を使いますかねぇ。無事に修行が終わるようにって意味合いでしょう。「無事難事なからんことを。」

そう言う風に言葉をかけて、次のお拝の時にですね、時候の挨拶かな。「一展して、寒暄を叙す。」と言う様にあります。「叙寒暄といふは、展坐具三拝了に、坐具を収め、進んで云く、『即辰盂夏漸くに熱なり。』」今日の様なもんですねぇ。夏たけなわになって非常に暑くなりましたねと言う事ですかね。「『法王結制の辰、』」九十日の修行が始まりますけども、「伏して惟れば堂頭和尚」ご住職様、『法候動止万福、下情感激の至りに勝へず。』非常にお元気そうで、私達も嬉しいです、って言う様な事ですね。そう言うご挨拶をしております。

「かくのごとくして、その次、触礼三拝。ことばなし。住持人みな答拝す。」これは坐具を開かないでお拝をして、言葉はそえるものは無く、住職の人はそれに対して一礼を返すと。「住持人念ず、『此者多幸にも同じく安居することを得たり。亦冀くは、某(首座監寺等)、法力相資、諸の難事なからんことを。』」次に住職は、今皆さん方と一緒に修行が出来る、非常に嬉しい。どうかあなた方も力を貸して頂いて、無事に修行が終える事が出来る様に私からもお願いします、とこう言う風にお返事をしております。

「首座大衆、この式に」同じと。あとの頭首とか大衆とか言う三グループにわけてるんですね。知事;部長職、頭首;課長職、そして一般に人と言う風に三部に分けてご挨拶が住職と交わされます。それは最初の人と同じ様にやっていくと言う事です。「この時首座、大衆、知事等、皆面北して礼拝するなり。」住職は南に顔を向けてますから、私達は住職の方を向くと、北の方に顔を向ける事になると言う事ですね。

「住持人ひとり面南して法座の堦前に立せり。住持人の坐具は拝席の上に展ずるなり」ここの本堂にも住職の坐る場所、下に一枚のこう言う畳表の様な物で作った物がありまして、その上に今、少し綺麗な座布団が置いて有ります。あの下に敷いてあるものを拝席と言います。その上にこの先程見せた坐具をひろげて、と言う事ですね。「つぎに首座大衆、住持人の前に両展三拝す。」と。「この時小師・侍者、法眷・沙弥、一辺にありて立す。未だ大衆と雷同して立つことを得ず。」小師は具足戒を受けて10年未満の者、法眷は法系の人、身内、沙弥は小僧さんは一辺にありて立つ。大衆と同席しないと言う事ですね。

「いはゆる『一辺にありて立つ』とは法堂の東壁のかたはらにありてたつなり。もし東壁辺に施主の垂箔のことあらば、法鼓のほとりにたつべし、また西壁辺にも立すべきなり。」空いている場所に立てば良いと言う事ですね。本堂の中で色々な、前日からお泊まりのお客さんとが居たら、そこの席が無いから他の場所、空いている場所でやったら良いじゃないかと言う様な事が書いてあります。

「大衆礼拝をはりて、知事まづ庫堂にかへりて主位に立す。つぎに首座大衆を領して庫司にいたりて人事す。」知事、頭首、一般大衆が最初に住職と人事、挨拶を交わします。つぎには部長と大衆の人達が挨拶をする。この時触礼三拝と言う形をとります。それから後、首座と言う人と知事と大衆が挨拶をする。まあ三つのそのご挨拶の仕方が行われます。これは年に何回か行われますね。人事って言うのは。正月もある。今、年二回安居があるから、夏と冬の時に行われます。年三回位はやってるのかな、人事。人事(にんじ)行礼と言ってますかね。人事(じんじ)行礼とかなるんだろうな、今。

「このとき小師・侍者、法眷等は、法堂上にて住持人を礼拝す。」この時法堂に残って身内の人(小師・侍者、法眷・沙弥)は住職に礼拝する。中でも法眷は最高の礼を以て、両展三は拝する。住職はこれに答拝する。他の小師・侍者は九拝する。住職の答拝は無し。沙弥は九拝、或いは十二拝する。住職は合掌して受けるだけで、答拝はない。

何か印金て言って、お拝をする時の合図に、チンチンチンチンと鳴らす、鐘のつけ方が、チ、チンチンて鳴らす。不思議な鳴らし方をするって言うのだけを覚えております。エーこんな鳴らし方をするんだって、人事の時は。まあそれずーっとそう言う事が行われると言う事ですね。

「つぎに首座、僧堂前にいたりて、上間の知事床のみなみのはしにあたりて、雲堂の正面にあたりて、面南にて大衆にむかうてたつ。大衆面北して、首座にむかうて触礼三拝す。首座、大衆をひきて入堂し、戒臘によりて巡堂立定す。知事入室し、聖僧前にて大展礼三拝しておく。つぎに首座前にて触礼三拝す。大衆答拝す。知事巡堂一迊して、いでてくらゐによりて叉手してたつ。」

首座との人事は、僧堂と言われてる修行道場の、此処で言えば白雲閣の様な坐禅堂の所で首座と交わされる。場所は、住持は法堂でやってますけども、そう言う事が違うんですね。それは四百四十三頁の中程に書いてあるんですね。やり方は大体同じです。それで、その最後の行に「住持人入堂、聖相前にして焼香、三拝して、この時小師聖僧後において、避けて立つ。法眷、大衆に随がふ。」色んな人事が終わったあと住職が修行道場の中に入って行って、文殊菩薩にお拝をなさる。その時住職について居た小師ですね、そう言う人達はこの聖僧様の後ろに身を寄せて、ちょっと隠れる様にして、そこに立って住職がお拝をするのを待つと言う事ですかね。

「次に住持人、首座に於いて触礼三拝す。」自分(住職)が自分の片腕となる、大事な首座と言う役職の人を招いて来ましたから、その人に対してトップの住職はですね、礼拝をしております。よろしくお願いをしますって。こう言うのも普通中々見る事の出来ないものでしょう。

「いはく、住持人、ただくらゐによりてたち、面西にて触礼す。首座大衆答拝、さきのごとし。」その後は住職に対して、僧堂の中に修行僧達が皆住職に対してお拝をする。その後、住持人、そのお堂の中で生活する、九十日一緒に生活する人達が其処に入ってますから、お堂の中を一巡してご挨拶をして歩く訳ですね。「巡堂して出づ。」閲兵、何かあの軍隊なんかでも、こう国賓が来ると、やるじゃないですか。あんな感じですかね。全ての人に挨拶して回る。で、そのお堂の中から出て行く。

「首座前門の南頬より出て住持人を送る。」修行道場のトップに居る住職に代わって補佐を出来る首座と言う人が、住職がそのお堂からお出になる時には、代表してそれを見送ると、首座が。「住持人出堂の後、首座已下、対礼三拝して、」お互いに向かいあって礼拝をして、曰く「此の際幸ひに安居を同じうす、三業不善ならんことを恐る、旦望すらくは慈悲あらんことを。」三業って言うのは、身口意だから、身体でやる事、それから口でやる事、心、心って言うのは思うって言う事で良いでしょうかね。その三つ、それを三業と言います。

身体でやるのは、殺すとか、十の戒律から言えば、不殺生、盗み、不偸盗、不邪淫、それから口業って言うのは、口でやるのは嘘をつかない、不妄語もそうですね、口ですね、あれ。両舌とか、向こうには良い事言って、こっちに良い事言ってって言う様な。それから不瞋恚って言うのは、多分心の中で、あの野郎この野郎くそったれとか思ってる事で、腹を立てる様なのは心の中の働きでしょうねぇ。でもそれが外にでる場合もありますので、そうすると、手を挙げるとか足を蹴飛ばすとか物を投げるとか色々、そう言うのは身業でしょう。身体で行う。まあそう言う色んな事が挙げられます。

「不善ならんことを恐る、」そう言う失礼な事の無い様にしたいものだって言う事ですね。身体で。身体や口や心で行う中で、人に迷惑のかかる様な事はしない様にお互いしよう、と言う事ですね。もし仮にも、気をつけていてもそうやって不愉快な思いをさせた時は、どうかお互いに憐れみをもって許し合って理解し合って行きましょう、と言う様な事が、慈悲でしょう。「望むらくは慈悲あらんことを。」

無慈悲な人は自分の主張が強いから、中々一旦物事や何か争い事が起こると収まらない。そう言う事が一つ出来ると、九十日そこで一緒に修行する時に、非常に厄介な事になる。こう言う事お互いに此処で誓約をしてる。口頭で交わして、しかも身体で良く分かりましたって言って礼拝をして、身体に刻み込むその事を。そう言う事が礼拝をする所以でしょう。

「この拝は展坐具三拝なり。」少し重々しく礼拝をすると言う。大事な礼拝をすると言う。「かくのごとくして首座・書記・蔵主等、おのおのその寮にかへる。」これが儀式が終わると、それぞれ自分の部屋がありますから、そう言う部屋へ役職の人は帰って行くと。「もしそれ衆寮僧は、寮主・寮首座已下、おのおの触礼三拝す。」この僧堂の中で、九十日お堂の中で一緒に生活する人は残って、此処で残った人同士がお互いにもう一回再確認をして礼拝をしあう、と。

「致語は」ってあります。言葉を添えるって言う事ですね。「致語は堂中の法におなじ。」って言う事ですから、先程申し上げた様な事ですね。「此の際幸ひに安居を同じうす、」と言う様な事を同じく述べると言う事です。「住持人こののち、庫堂よりはじめて巡堂す。」一山の住職は、こう言う儀式が終わったら、各寮がありますから、順次次々、病院の院長?あるじゃないですか。何かずーっと入院してる人を回る、何ですか?回診、総回診とか何か言うんですよね。あれに似てる。住持がお堂の中に、台所に人も居る、色んな部屋に居る人の所、どの部屋も全部ずーっと回る。そうするとその部屋の人達は、外に立って出迎えて、どうぞって中に入ってもらって、点検して貰って、ああ此処大丈夫だなとか、障子破れてるじゃないかとか注意されると、後で貼っておきますって言う様な事になるのですね。そう言うな事までちゃんと点検をして行くのを巡堂と言います。こんな事をしています。




スポンサーサイト



コメント

非公開コメント