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正法眼蔵を学ぶ

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三十七品菩提分法 八正道  正業道支 (七)

音声はこちら↓

三十七品 正業道支 7 ①
三十七品 正業道支 7②
三十七品 正業道支 7③
三十七品 正業道支 7④



あるいは邪人おほくおもはく、「言説動容はこれ仮法なり、寂黙凝然はこれ真実なり」

かくのごとくいふ、また仏法にあらず。梵天自在天等の経教を伝聞せるともがらの所計なり。

仏法いかでか動静にかゝはらん。仏道に動静ありや、動静なしや、動静を接すや、動静に接せられるやと、

審細に参学すべし。而今の晩学、たゆむことなかれ。

現在大宋国をみるに、仏祖の大道を参学せるともがら、断絶せるがごとし。両三箇あるにあらず。

維摩は是にして一黙あり、いま一黙せざるは維摩よりも劣なりとおもへるともがらのみあり。さらに仏法の活路なし。

あるいは又、維摩の一黙はすなはち世尊の一黙なりとおもふともがらのみあり、さらに分別の光明あらざるなり。

かくのごとくおもひいふともがら、すべていまだかって仏法見聞の参学なしといふべし。

大宋国人にあればとて、仏法なるらんとおもふことなから。その道理、あきらめやすかるべし。

「いわゆる『正業』は僧業なり。論師、経師の知るところにあらず。

僧業といふは、雲堂裏の功夫なり、仏殿裏の礼拝なり、後架裏の洗面なり。

乃至合掌問訊、焼香焼湯する、これ正業なり。以頭換尾するのみにあらず、以頭換頭なり、以心換心んあり、

以仏換仏なり、以道換道なり。これすなわち正業なり。あやまりて仏法の商量すれば、眉鬚堕落し、面目破顔するなり」



続きますがそこら辺で。当時の人が如何おもってたか、と言うよりは、今の私達がものを学ぶ時に、

どういう風にものを扱っているかと言う事を見て貰ったほうがいいのでしょう。


「あるいは邪人おほくおもはく」間違ったものの考え方をしている人たちの様子ですね。

言葉に表す、或いは文字に表す、そういう風な日常の様子がありますが、それが本当のものでないと言うんですかね。

「仮法なり」本当のものはどういうものかって言ったら、「寂黙凝然」静かにして

今こうやって居る、そういうものが本当の有り様だって言う風に考えておられる人が当時もおられたのでしょう。

今も居るかもしれません。


よくよくこうやって触れてみるとですね、真実以外の生き方をしてる時間は一秒たりとも無いのですね、ものの推移として。

だけども、捉えてどの様に思うかってなると、こういうものはつまらない、こういうものは立派なものだ、

っていう風にものに対して、今の有り様に対して人が評価をしている。

そういうことによって、こちらは真実でないこちらは本当の様子だって、言う風に分けてる人が当時もいたのでしょうね。

今も居るかも知れません。それはどこに問題があるかって言うと、人の考え方で取り上げている話であって、

実物そのものの様子ではないということです。実物そのものの様子にはですね、初めから優劣も何もないですね。

そして必ず今のこの有り様を除いて他の生き方をしている人は一人も居ない。

そういうことを各自よく自分を味わって貰ったらいいでしょう。


道元禅師はかなり強烈なことを言っておられますね。「かくのごとくいふ」全く「仏法にあらず」

そういう風なものは仏法を論じてるって言うんでしょうけれども、仏法とはかけ離れている、人の考え方の上の話。

例えば、教本を読めば仏法を論じてるって思うかも知れないけれど、そうではないですね。そういうことが日常にもあるでしょう。


「梵天自在天等の経教を伝聞せるともがらの所計なり。」

 仏法以外の教えを元にして、ものを考えている人達の言い分ですね。仏法以外のものという表現だと,

とっつきが悪いかも知れないから、事実以外の、人の考え方の上のものをとり上げて、どうこう言ってる人達です。

で人間の考え方の中には、ここにある様に梵天とか自在天とか言われる様にですね、一応高級そうなものの考え方が,

あるじゃないですか。最高のありかたとか一番の幸せとかって言う様なものを人は考えますから、

そういう考え方の上で話をすると、お互いに考え方同士のものが触れあった場合にはですね、なるほどって理解が行って、

手を結んでそうだそうだそうだって、一緒に進んで行く、そういう程度のことですね。


そこで、「仏法いかでか動静にかゝはらん」と言うような事が出てきます。

人の言い分、考え方、思考、そういうものに左右される様なものではない。

だから、皆さんが真実とか言う様なものを、世界中の人がものを学ぶ時の根底においてですね、

誰も狂いがないから、それを本当に相手にして、どうなってるかってことを勉強していく。

自分自身の様子もそうですね。自分自身の様子を考え方の上で取り扱っている人は自分自身のことがよくわからない。

そういう風になってます。


「仏道に動静ありや、動静なしや、動静を接すや、動静に接せられるやと、」

静かだとか動いているとか、言う様なことですね、動靜。静かとか動いているとかって言う様なものは,

ものの見方の中に出てくる。本当に自分達の様子、触れて御覧なさい。


間単に言えばですね、手一つこうやって動かした時にでもですよ、(右手を右の方に伸ばして広げる)

他の動き様がないのでしょう。見て貰えばわかる。私の手こうやって動かした時、私の手の動きがこれ以外に無いのでしょう。

そういう風な働きをしてます。動いたとか動かないって言う様なことは出て来ないですね。

動かしたとか動かされたとかって言う様なものは、何処かに自分で何かを認めている所からこの動きをみるからです。

考え方があるんですよ、見方が。最初に点を打つんです。ここから距離が出てくるんですね。

こっからあそこまでってやるから、距離が出てきます。だけど今こうやって見てる時に、遠いと思われてるものも、

窓をパッとあけると一気に見える。近いものも遠いものも一気にパッと見える。

普通だったら遠いものは時間がかかって段々見える。そういう風になってる。


空をみて星が見える。昨日も何かメールを頂いた。夕べ面白い天体ショーがあったらしい。見損ねてしまったんだけど。

そういう計算上ではですね、何億光年とかって言う桁外れな年数がかからないと光が届かないはずなんだけど、

不思議ですね、パッとやると星が見える。もうちょっと言うと比べるものがないということです。動きの中に。

もうひとつの様子があれば比べられるけど、もうひとつの様子が無い。そういう処にこの動靜と言う様なことが挙げられる。


本当にものを見てみるとですね、いつもその今活動している様子以外に何も無い。だけど何も無いはずなんだけど、

人間は考える能力があるものですから、昨日のことも思い起こすことが出来るし、これから先のことも考える力があるから、

いろんな対象物が自分の中に在る様になってきます。それは思いの上の話。

そういうものを仏法は扱っているのではない。そういうことを知っといて貰ったらいいでしょう。


「審細に参学すべし」つまびらかに、自分自身のことだから、よーく見てください。

「而今の晩学、たゆむことなかれ」今の私たちのことですね。而今の晩学。

「たゆむことなかれ」って言うことはよそ見をするなってことです。本当に今どうなってるか、

自分自身のことだから、自分自身の様子に親しくふれて、そのことををはっきりさせなさい。そういうものが仏法なんですね。


先ほど、暎道さんがご挨拶に来ていただいた時に、絹の布に英文で色即是空・空即是色と言うものが縦書きに、

英語で書かれている。英語が縦書きに、書かれているものを頂いた。

色即是空、皆さん方がこうやって生活していると、ものが色々あると思ってるでしょう。色ですね、このものの有り様。

だけどもそのものがあるって有り様がですね、目とものが触れると、ただそういうことがそこに現ずるだけですね。

現れるだけですね。知っていますよね。自分の眼とものが触れるとそういう風に在るように、そこに本当に在る様に、

間違いなく在る様にこうやって見えるんですね。それで、それを見た人はあそこにものが在るって言う風に思って、

ここに記憶していきます。そういう風な生活をしてる。

だけども色即是空だからこんなになってますね。ものがあるっていうんだけれども、

実際には眼には向かっているものの様子だけが見えるだけです。いつでも。他にはないですね。いつでも。

もし、そういうことが審細につまびらかに、はっきりしたら、まさしく人はそれだけで成仏、救われていくでしょうね。

多くの人が問題になるのは、見たもので、それがいつまでも気にかかるからでしょう。

気にかかることと、見えてるか見えてないかってこととは、全然次元が別ですよ。自分の眼だからやって御覧なさい。

こうやって涅槃図に向かってると、涅槃図以外の物が見えることはないですよ。今見えてる様子だけです。

いつでも。どうしてそうなのか。不思議ですね。


で、向かった所のものだけが見えさえすれば、生活するのに何の不自由もない。

幾らこうやって向かって、ものが見えたからって、何処にも見たものが残らずに、

こうやってものが何時でも見えるってことが真空なんですね。残り物が一切ない。清浄です。

残り物が無かったら、皆さん、生活して問題にならないでしょう。どんなに酷い事が触れた時に見えても。


午前中にいた所に神戸から、わざわざ、何で神戸から浜松まで来なくてもと思ったんだけど。

「而今の晩学、たゆむことなかれ」他で何かを学ぶのではない。

自分自身の、今こうやって生活しているそのもので学ぶんです。

だから今、一例を挙げたけども、皆さんの使っている眼はものを見る時に、色即是空空即是色、

音を聞くときに色即是空空即是色。パン!(机を打つ)音は何処から出てくるのでしょう。パン!パン!パン!

音がする時、パン!音は何処へ消えて行くのでしょう。音が止むと聞こえない。

こうやって毎日生活してるでしょう。パン!


それだのに、パン!何が問題で苦しむんですか。パン!

何が問題でパン!腹が立つんですか。何か問題で、パン!争いが起きてるんですか。

パン!聞いたことで。問題はそれだけですよ。何処でパン!聞いたものに対して

争いがおこるか。パン!何処で聞いたものに対して腹が立つか。何処で聞いたものでイライラするか。

まあパン!言わずともがな、必ず自分自身のパン!様子の中で今パン!

この触れたものに対して、一念わずかに自分の中で思いがチラッと動くとたちまちやられるだけなんじゃないですか。

他の人のことで、他の人の身体の中で問題になることは一切無い。


そうやって「而今の晩学、たゆむことなかれ」審細に参学すべしと言うようなことでしょうね。

沢山本を読めという様なことじゃない。(咳される)ごめんなさい。何か自分の身体だけど言う事きかない。


そこで当時の中国に渡られた道元禅師が見聞きしてきた内容を残しておられるね。

現在この中国、自分の渡って来て今居る中国を見ると、

「仏祖の大道を参学せるともがら、断絶せるがごとし」お釈迦様の悟られたというか気づかれた、

そういうものがどういう内容であるかってことを伝えてきたわけですけれど、

そういうものを本当に理解をしている、悟ってる人は全く居ないっていうことですよ。断絶せるが如し。

それがご自身が中国へ渡って、諸山いわゆる立派なお寺の住職をしている或いは名だたる人、

誰からも敬われている沢山の人達に、そういう所を転々と時間をかけて歩かれた時に感じたことなんでしょうね。


皆さんに関係ないかもしれませんが、毎朝のお勤めで曹洞宗では、お釈迦様からこう伝統として受け継いでくる仏様や祖師方の

名前をずーっとこう読み上げて行くのですが、道元禅師までは、更に螢山禅師位までは、このお二人位までは、

仏祖という仲間に入るんですね。仏祖。だけど、そっから先はですね、そっからのちは自分の師匠の処まで来る間に、

その他の人達は今仏祖と呼ばれてない。一度学会の、研究している、そういう高名な先生方に聞いてみたいを思いますが。

日本でどの辺まで真実の教えが伝わった人として継承されているのかなーって。そういう勉強があると思うんですが、

一度聞いてみたいなと思ってるんですけど。


「両三箇あるにあらず」両三箇あるにあらずってことは、二人とか三人ですね。

数えることが出来ないっていうことでしょう。二人でも三人でもいればいいですよ。断絶せるがごとし、皆無と言っていいのでしょう。

そういう中で、奇しくも如浄禅師という方にお会いになったということですね。


そういう方々がどういうことを言っておられるかと言うと、

「維摩は是にして一黙あり、いま一黙せざるは維摩よりも劣なりとおもへるともがらのみあり」

まあ黙ってると物事はあまりばれないのでいいのでしょうね。黙秘権というのがあって、

黙ってると割りと物の全容がわからない。隠すのに最高。幾らつついても何も言わないでただこうやっていられると、

つつく方がつつき様が無くなってお手上げになる。黙の使い方を間違えてますね。沈黙は金って言う格言もあるでしょう。

黙って座ればピタリと当たるって言う位大道で占いをしている人達が言うくらいです。


黙るって凄い力なんですけれども、かって維摩居士という方の病床を文殊菩薩が見舞ってくれた時に、

お相手するのに黙ってそこに居られた。そういう風な姿を維摩経の中にも残しておってですね、ああいうあり方は素晴らしいと、

こういう風に言ってる。だから維摩の様に一黙、黙るということをしない様なものは、維摩よりも劣ってるって、

そういう風に思ってる人だって言うんですね。情けないことに本当に「さらに仏法の活路なし」

活路を開けって言うんだけども、つまらん頭の中で考えているだけだから、思い切った活動がひとつも出来ない。
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  1. 2016/11/12(土) 18:58:32|
  2. 三十七品菩提分法・八正道・正業
  3. | コメント:2
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コメント

いつもありがとうございます。
遠方に住んでおりますので、書き起こしもしていただき、老師のお声の録音まで載せていただき、毎日の励みになっています。
  1. 2016/11/25(金) 05:39:39 |
  2. URL |
  3. yama #-
  4. [ 編集 ]

コメントありがとうございます。

見て頂くこと有難いです。
明日は円通寺に参ります。ご感想を御老師にお伝えしますね。 
お元気で。
  1. 2016/11/25(金) 07:58:42 |
  2. URL |
  3. shikkasan #-
  4. [ 編集 ]

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